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fuzkue(フヅクエ)という場所に出会ってしまった話


いつだったか、4月のいつか。

たまたまTwitterのTL上でどなたかのRTの中に下北沢B&Bでのfuzkueと森の図書館のトークがどうだった、

というようなものが流れてきて、森の図書館にも行ったことがなかったけど、なんとなくいろんなメディアで読んだりする機会があってどんなお店かというのは想像がついていて、だけど、その対極とあるfuzkueのことは一切知らなかったのでとても気になって、HPを見に行ったのだった。

そうしたら、なんだかやたらお店の説明が書いてあって、ここはいわゆる普通のカフェではないのだな、ということをその時に理解した。Twitterアカウントページの自己紹介のところには、「ゆっくり本を読みたい、そんな人のために作ったカフェのようなバーのような食事処のような静かな店です。」とある。私語は一切禁止らしい。気になる。

場所を確認すると初台らしい。なんとギリギリ通勤経路、ということで嬉しく思った。

4月最後の勤務日。この日は15時にフレックス退社をしようと決めていて、数日前からワクワク、どこに行こうかなとあれこれ思案していた。fuzkueもその「あれこれ」の候補に入っていたのだけど、どうも今日、「fuzkueに行かない」という選択はないような気がした。行かないと気持ちわるい、とまで思ってしまった。行ったことないお店なのに。行ったことないお店だから、かな。。そういうわけで、fuzkueに向かった。

初台の出口から、数十秒歩くと路上に看板を見つけた。ほんとにすぐだった。

階段を上がる。お店の前に書いてある説明書きを読んだ。まだ扉を開けていないのに、扉の外にまで静寂がじわりと染み出ているような感じがした。

扉を開けた。左手にあるソファ席は全て埋まっていたので、右手のカウンター席に座ることにした。

お店の方がお水を持って来てくださり、メニューが書いてあるであろう、それにしては枚数の多い、バインダーを目の前の机に置いていかれた。

HPを見たときにそんなお店だというのはわかって来店していたので驚きはしなかったけれど、それにしてもメニューにたどり着かない。読み応えばつぐん。活字中毒気味の自分としては楽しく目を動かした。

時間は16時半ごろだったと思う。少しお腹が空いていたので、はちみつがけチーズトーストと紅茶を頼むことにした。

待っている間もその分厚いメニューの紙を読んでいた。メニューの後には、このいまのfuzkueの形式(注文する品によって違う席料がかかること)に至った経緯など事細かに書かれていた。面白かったので、チーズトーストと紅茶がきたあとも、食べながらしばらく、たぶん1時間くらいはずっと読んでいた。

1時間とちょっと経った頃、一人掛けのソファ席が空いたので座席を移動することにした。メニューブックの説明には、気兼ねなく座席を移動してもいいと書かれていたこともあり、迷いはなかった。

この一人掛けのソファ席の座り心地の良いことといったら・・・。

紅茶を飲み切ってしまいそうで、でもまだここに居たいなぁという思いがあったので、コーヒーを追加で注文することにした。

そうそう、紅茶がポットで供されること、そのポットにティーコゼーがかぶせられていたこと、紅茶に添えられて出された「ミルク」が「牛乳」だったこと、それもたっぷり、ということも本当にうれしかったし、完璧だなぁと思っていた。

コーヒーを追加注文してから1時間弱読書などを続け、19時ごろ帰ることにした。

滞在時間は2時間半。メニューブックによると、これはこのお店では平均くらいの滞在時間らしい。もう一つあった一人掛けのソファ席に、私が店に来る前からいらした女性は、私が帰るときにもまだ帰る感じはなかった。

店主さんは扉のところまでお見送りをしてくれるスタイルで、そういうの、すごくいいなと、またしても思った。

帰り道、初台の駅のホームで電車を待ちながら、なんだかすごい体験をしてしまったぞ、と思った。

違う世界に行って、帰ってきた、みたいな。

久しぶりに、すごく好きな店に出会ってしまったと、静かに、でも心は熱く興奮していて、なんか大げさかもしれないけど、あーー生きててよかったなぁ~~これからも生きていけるなぁ~~・・・とさえ思うほどだった。

これが私の初fuzkue体験。

そう。カフェに行った、というより、fuzkueを体験した、という言い方のほうがしっくりくるこの感じ。

fuzkueのある世界に生きられて嬉しいですありがとう店主さんありがとう!!という感じです本当に。

その後GWを挟んでしまったこともあり再訪できていないけれど、ここは確実に、今後通ってしまうお店であることは間違いない。自分のフトコロ具合からして週一くらいのペースでなら行き続けることができると思う。(というのも、このお店のシステム的に、一度の来店での最低お支払い金額の基準がわかってるので、それを鑑みると残念なことに私は毎日通えるほどの経済的余裕がいまはない、、)

すごく勝手だけれど、こういうお店はずっとずっとそこにあってほしい。

こういうお店が人から必要とされて存在していけるような世の中であってほしい。

すごく勝手だけれど。

色々と考えがあり一見面倒くさそうなルールもあるが(私は全然、面倒くさいとか思わないけど)、でもなぜか嫌味な感じが一切なく、心地良いというのが本当にすごいと思った。これは、「お客さんに気兼ねなく読書を、fuzkueでの滞在を、楽しんでほしい」という軸がきちんとあって、それを押し付けがましくなく、このお店のスタイルとしてシステム化しているところにあると思う。それはお店にも、あの分厚いメニューブックにも、嫌味さは微塵もない。文章から店主さんの考えは良く伝わってくるし、人柄もダダ漏れ。そんな的確な表現ができる店主さん、何者。

“漠然と謳われた自由よりも制限され明文化された自由の中でこそ本当に自由でいられる、少なくとも僕というかフヅクエはそちらを選ぶ”

fuzkueのHP内「よみもの」のどこかの記事にあった言葉。完全に同意。私もそちらを選ぶ。

これこれこういう理由で、自分がここにいてもいい、お金を払うことで、明文化されたルールを守ることでそれが許される、いてもいいのかな?っていう迷いがないって、ものすごくストレスフリーだなと思った。すごい気楽。

あとは、そこにいる誰とも、店主さんとも、必要(注文と支払い)以上のコミュニケーションを取る必要がないって、なんだこれは画期的と思ってしまった。機能的ってこんなにも気持ちが良くて、爽やかなんだなぁと、お店に対して思う初めての気持ちが沸いた。

例えば私が大好きなお店は、私はお店と店主さんのことが好きで、そこに行くことで店主さんとお話しできる時間も楽しくて大好きだからそれでいいのだけど、なんだかたまに、そういう気分じゃない時とか、足が遠のいてしまうことがあって。空間は好きだけれど、だれか人と話をする気分じゃないというか。どうしたのかな?大丈夫かな?とか心配されずに一人でただ黙々と本が読みたいとか。そういう時に、自分がどこにいけばいいのかわからなかった。

なるほど。そういうときにfuzkueにきたらいいんだねと、嬉しくなった。

誰でもウェルカム、な感じじゃないのが良い。こういうスタンスでやってます。なので、それに賛同する方はどうぞくつろいでいってください。そうじゃなければすみませんがさようなら。

お客は店を選ぶけど、店だってあからさまに客を選んでいいよね、そうだよね、って思った。

それって、すごく気持ちがいい。

お店のHPにある「よみもの」がまた面白くて、それからちびちび読み進めている。

それと「会話のない読書会」、これはぜひ次回参加してみたい。

以上、fuzkue体験記でした。

2017年始まってまだ(もう?)3分の1終わったところだけれど、今年fuzkueという場所に出会えたことは今年の自分的10大ニュースの上位に入ると思います。そのくらい衝撃的な出会いでした。

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